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【アンコールトム】バイヨン寺院だけじゃない!トムの見どころ・行き方・周辺情報

アンコールトムの見どころ・歴史・場所カンボジアの遺跡・世界遺産

カンボジアの遺跡観光では、定番のアンコールトム。アンコールワットとセットで観光する人も多いと思います。実は、アンコールトムは、アンコールワットよりも、見どころ箇所が多く、面積も広いんです。今回はアンコールトムの歴史・見どころなどについて、詳しくご紹介していきます。

アンコールトムの歴史

アンコールトムの歴史

アンコールトムは、1020年からスーリヤヴァルマン1世により、建造が始まったと言われています。スーリヤヴァルマン1世は、王として、支配範囲が広かったのが特徴でした。アンコール王朝の支配力は、現在のラオスのルアンパバーンやタイのチャオプラヤ川までとどろかせていたという記録もあります。
そんなスーリヤヴァルマン1世から建造が始まったアンコールトムは、アンコールワットよりも広い敷地面積を持ちます。スーリヤヴァルマン1世は、アンコールトムの中にある遺跡で、ピミアナカスの寺院をつくりました。

その後、スーリヤヴァルマン2世が王に即位し、アンコールワットを建造し、王都もアンコールワットになりました。しかし、ベトナムのチャンパ軍の攻撃により、アンコールワットが占拠されてしまいます。1181年には、ジャヤバルマン7世がアンコールワットを取り戻し、1190年にチャンパ軍を降伏させました。

アンコールワットは取り戻したものの、長く続いた戦いにより国内は崩壊したような状態でした。そんな国を立て直すために、ジャヤバルマン7世は、さらに精力的に動きました。主要の道路を整備したり、病院や国民の施設を充実させました。そして王都をアンコールトムに遷都しました。そのときに、バイヨンや、8mの防御壁、幅100mの濠、五城門などが作られ、現在のアンコールトムにより近い形になったと言われています。

アンコールトムは、都城とされていますが、当時は王族以外にも多くの人々が住んでいました。ジャヤバルマン7世がインフラを整備してくれたおかげで、アンコールトムは1つの町として機能していたと考えられています。

アンコールトムの場所・行き方・入場料

アンコールトムへは、車またはトゥクトゥクでの移動がおすすめです。シェムリアップ中心部から約20分ほどで移動することができます。

入場料については、アンコールパスで入場ができます。アンコールパスを持っていれば、別途遺跡で入場料を支払う必要はありません。アンコールパスは、現地にチケット売り場があります。ほとんどのツアーではチケット売り場に寄ったり、トゥクトゥクのドライバーさんもはじめにお客さんがアンコールパスを持っているかどうか確認し、持っていなければ立ち寄ってくれる人ばかりです。

アンコールパスは、3種類あります。

パスの種類金額有効期間
1日券37$購入日のみ有効
3日券62$購入日より10日間
7日券72$購入日より1か月間

3日券と7日券については、連続で3日間や7日間使用する必要はなく、有効期間内であれば、好きな日にちに遺跡観光をすることができます。他の観光スケジュールも考えて、アンコールパスは購入することをおすすめします!

アンコールトムの見どころ

それでは、アンコールトムの見どころポイントについてご紹介していきます。

南大門

アンコールトム・南大門

多くのアンコールトムのツアーでは、まず南大門を訪れることが多いです。巨大な観音菩薩が彫られた門と、両サイドには、大蛇をもって綱引きする像が54体ずつ並んでいます。これは乳海攪拌(にゅうかいかくはん)というヒンドゥー教の神話のワンシーンです。アンコールワットの第一回廊にも、このシーンの彫刻が残されています。この両サイドの像ですが、実はよく見ると左と右で顔が異なります。向かって右側には神々、左側には阿修羅が立ち並んでいます。

そして、さらに気になるのが、ところどころ、顔が白い像があります。これは修復作業中の像になります。修復に関しても、日本を含むさまざまな国が協力をしています。国によって修復に対する考え方が異なります。日本の場合は当時の雰囲気を残しながら修復するという考え方ですが、国によっては新しい素材を使ってより遺跡を補強するという考え方の国もあります。この南大門エリアの修復に関しては、後者の考え方が採用されたようです。

南大門を朝一に観光するツアーが多いため、朝は混雑しています。そのため、交通規制があります。南大門から先のバイヨンまで続く道は、朝7時30分から11時30分の間は一方通行になっています。この時間帯は北側から通ることができないので、注意が必要です。

バイヨン寺院

アンコールトム・バイヨン寺院

南大門をこえて、見えてくるのが、バイヨン寺院です。アンコールトムの敷地内のちょうど真ん中あたりに位置します。このバイヨン寺院は、神々の聖域とされる須弥山(メール山)を象徴していると言わています。須弥山は、古代インド神話に出てくる山で、その宇宙観を表現することが、当時のカンボジアでは、重要なこととされていました。

バイヨン寺院の彫刻

バイヨン寺院にも、アンコールワットのように回廊があります。アンコールワットには、神話の彫刻が多かったですが、バイヨン寺院には人々の日常生活の1コマを見ることができます。女性が出産する場面や戦の場面、またサーカス団が芸を披露する場面などもあります。こちらの写真は、亀にお尻をかまれているちょっとコミカルな場面です。

アンコールトム・バイヨンのほほえみ(クメールのほほえみ)

第二回廊から階段をのぼると、迫力満点の「バイヨンのほほえみ(クメールのほほえみ)」に到着します。この仏塔は約50基ほどあり、すべて四面にお顔が描かれています。お顔については、観音菩薩だったり、アンコールトムを立ち上げたジャヤバルマン7世ではないかなど、複数の説があります。ガイドさんによっては、京唄子さんに似ていると説明をし、その世代のお客さんを盛り上げる人もいます。

バプーオン

アンコール・トム パプーオン

バプーオンは、バイヨン寺院のすぐ北側にある遺跡です。遺跡の正面には、約200mある空中参道と呼ばれる道が続いています。虹の架け橋とも呼ばれて、地上と天の世界を結ぶ役割をもっていました。

バプーオンとは、隠し子という意味があります。昔、アンコール王朝と現在のタイにあたるシャムの戦いが始まりました。その際に王子をこの寺院に隠したことから、そう名付けられました。

バプーオンの土地は地盤が弱く、発見時には大部分が崩れていたそうです。1960年から修復作業が始まり、約51年かけて、2011年に作業が完了しました。一時閉鎖と観光再開をそれまで繰り返していた遺跡でしたが、2011年からは常時一般向けに観光ができるようになりました。

バプーオンはもともとヒンドゥー教の寺院として建てられましたが、15世紀に仏教寺院に改修されました。そのときに作られたのが、巨大涅槃像です!近くでみると石がただ積まれているように見えますが、少し離れてみると確かに涅槃像がそこにあります。これは、第二層の、空中参道とは反対側のエリアでみることができます。

ピミアナカス

アンコールトム・ピミアナカス

ピミアナカスは、王宮跡地に建てられた寺院です。天空の宮殿という意味があります。

ここでは、王族のための儀式が行われていました。そして、寺院の中に入ることができたのも、王だけだったと言われています。その理由には、とある言い伝えがあったそうです。ピミアナカスの塔の中にはナーガ(蛇の神)が宿っていました。その蛇は、毎晩美しい女性に化身をし、王はその化身した女性と毎晩ともに過ごさなければなりませんでした。一日でもかかせば、王は早死するという言い伝えがあったため、王だけがピミアナカスに入ることができました。

ピミアナカスは、バイヨン寺院の北側にあります。バプーオンには、ピミアナカスへの案内板が出ているので、バプーオンを経由していくと、わかりやすいです。またピミアナカスの北側には、2つの沐浴場があります。女池と男池です。ピミアナカス観光の際には、ぜひ女池と男池も立ち寄ることをおすすめします。

象のテラス

アンコールトム・象のテラス

象のテラスは、高さは3~4m、長さは300m以上あるとても規模の大きいテラスです。ここでは、当時王族たちがここに鎮座して、兵を整列させてチェックしたり、戦いにいく兵を見送っていた場所と言われています。またテラスの上には、当時建物があったという記録もあるそうです。

象のテラスには、写真のような象の彫刻や、ガルーダとガジャシンハの彫刻、5つの頭を持つ馬の像などをみることができます。

ライ王のテラス

アンコールトム・ライ王のテラス

ライ王と聞くと、三島由紀夫の戯曲「ライ王のテラス」を思い浮かべる人もいるかもしれません。三島由紀夫の作品の中では、アンコールトムを作ったジャヤバルマン7世やアンコール王朝について描かれています。

ですが、実際のところこのライ王が誰であるかや、このテラスが何のために作られたのかは、未だ明確になっていません。ライ王については、みつかった像の鼻と指先がかけていたことと、こけで変色していた点から、ライ病(ハンセン病)にかかった王と呼ばれるようになった、という説があるそうです。

またテラスについては、壁に繊細なデザインの阿修羅と神々の彫刻が緻密に重なり合っている点から、象のテラスよりも高度な設計技術があったと考えられています。

プラサット・スゥル・プラット

アンコールトムのプラサット・スゥル・プラット

象のテラスの正面にある、12基の塔です。それぞれの塔に4つの出入り口があるのが特徴です。この12基の塔が何に使われていたかは、解明されていません。綱渡りのための塔で、象のテラスにいる王族に見せていたという説や、宝物庫で宝石などを塔で管理していたなどの説がささやかれています。

勝利の門・死者の門

アンコールトムの勝利の門・死者の門

実はアンコールトムには全部で5つの門があります。東西南北にそれぞれ1つずつと、あと東側の王宮の正面にもう1つ門があります。その王宮の正面にある門が、勝利の門です。当時、勝利の門は、戦で勝った兵士たちが通る門だったそうです。勝利の門をくぐりぬけると、象のテラスに到着します。勝利した兵士たちは、象のテラスで王たちに祝福をされていたのではないかと言われています。

アンコールトムの東にはもう1つ、死者の門があります。死者の門は、戦で亡くなった兵士たちの魂が通る場所と言われています。場所は、バイヨン寺院の正面にあたります。死者の門へは、道が整備されていないので、行きにずらいのが難点です。ただ、定番ツアーではあまり組まれないスポットなので、人が少なく、ゆっくり観光することができます。

アンコールワットとアンコールトム

アンコールワット遺跡
アンコールワット遺跡

アンコールワットとアンコールトムは、どちらもアンコールがつき、名前が似ていますよね。

アンコールワットは、1つの大きな寺院の遺跡です。ワットは、寺院を意味します。スールヤヴァルマン2世が1113年に建造をはじめ、完成まで約30年間かかりました。

アンコールトムは、城壁で囲まれた都城で、複数の遺跡が集まっています。スールヤヴァルマン1世が1020年から建造が始まったと言われています。その後、数々の王によって手が加えられて、今の状態になりました。トムは、大きいという意味があり、アンコールトムの総面積は、9キロ平方メートルもあります。広いアンコールトムは、定番のツアーでは一部の遺跡しか観光しないため、小さい印象を持たれる方も多いですが、実は、アンコールワットの約4.5倍の広さをほこります。

象乗り体験が禁止に?

アンコールトムで象乗りが2020年に禁止に。

バイヨン寺院の近くには、象が待機しており、象乗り体験が以前はできました。バイヨン寺院の外周をゆっくり象が歩いてくれます。そのため、バイヨン寺院周辺では、象とすれ違うこともたびたびありました。

しかし、2020年に象乗り体験が禁止されることとなりました。その背景には、動物愛護団体や自然活動家の方から、「象乗りは虐待」と批判されてきたことがあげられます。

象乗り体験禁止令は、コロナがあけ、観光客が復活してきた現在も引き続き続いています。象乗り体験と検索すると、一部オプショナルツアーがヒットしますが、いずれも販売期間が過去のものとなってるので注意しましょう。

アンコールトム周辺情報

遺跡内には、ローカルなレストランがありますが、そこで食事をとる方はほとんどいません。シェムリアップ中心部から30分以内で移動ができるので、昼食については、一度中心部に戻ることをおすすめします。

トイレについては、象のテラスから徒歩圏内で行くことができます。トイレを利用するときには、アンコールパスを持っていきましょう。パスをチェックする人がおり、パスを持っていれば無料で利用ができます。基本的には、トイレに紙の備え付けがありますが、切らしていることもあるので、紙も持参したほうが無難です。

まとめ

アンコールトムは、多くのツアーで組み込まれている、人気観光地です。ただ、定番のツアーでは、バイヨン寺院や南大門、象のテラス、ライ王のテラスなど、アンコールトム内の一部の遺跡しか観光しません。カンボジアに複数回行かれる方や、一味違ったツアーを楽しみたいという方は、アンコールトムのメイン遺跡以外の観光をおすすめします。